紳助らしいってなんやろう

島田紳助氏の暴行事件、第一報をこのblog にも紹介しましたが、昨日、会見が行われて真相が紳助氏本人の口から語られた。

新聞記事を要約すると、

(会見で)「ボクが100%悪い。ほんますみません」と事実関係を認め謝罪し、号泣した。吉本側は紳助に10日間の謹慎処分を科した。

Aさんは話し合いを徹底して拒否し、一方で紳助を大阪府警刑事告訴した。

紳助によると「クイズ!紳助くん」の収録前、別の仕事で居合わせたAさんが話しかけてきた。面識はなく、吉本の取締役を呼び捨てにするなど口の利き方が「無礼だ」と感じ、楽屋に呼んだ。吉本の社員であることが判明し「こんな無礼なヤツが会社におるんか」と一気に怒りが爆発。立ち去ろうとするAさんの髪をつかんで座らせ、平手で殴った。

Aさんが大声で「助けてください」と叫んだ時に我に返り、プロデューサーらが仲裁に入ったという。Aさん側はツバを吐かれたとしているが、紳助は「自分では1分とか短いやりとりに思えた。本当に興奮して覚えてないですが、したかもしれない」と涙で釈明した。

一時は「芸能界をやめようと思った」と紳助。尊敬する上岡龍太郎に「やめるな。誠心誠意謝りなさい」と言われとどまった。「土下座して謝りたい」と何度も接触を試みたが、Aさんは完全拒否。

といった感じです。

僕はファンとしてこのニュースにコメントさせてもらいます。ただ、あくまでもファンなので紳助氏の肩を持つような表現があるかもしれませんがご了承下さい。ただし、今回紳助氏がとった行動は社会的にも人間としてもやってはいけない行為だということはしっかり認識してますのであしからず。

今回の事件で初めは僕も「紳助らしくないな」と思った。でもよく考えてみたらほんとに紳助らしくないんかな?僕が持っている紳助氏の著書5冊に目を通してみた。

紳助氏は何も「デキた人間」ではない。サンデープロジェクトの司会などでしっかりしている、頭の良い、というイメージがついただけだろう。

でもそれは決してけなしているわけじゃない。

紳助氏は「素直で自分の目指す道を一直線に突っ走る」人間だと思う。

鈴鹿八耐の取り組み(著書『風がとまるとき』『ラスト・ラン』)

・田舎暮らしにこだわりを持って、大阪府能勢に家を建てて暮らしていること(著書『えせ田舎暮らし』『僕の生き方』)

・ 子供との関係、父親観(『いつも心に紳助を』)

この部分を少なくとも僕はかっこいいと思っている。だからファンであり、本も買い続けている。昨日も一冊買った。

もし、紳助氏が著書の中で「暴力ふるう奴は最低だ」とか書いていたら、今回の事件で僕はファンをやめたに違いない。

しかし、そうじゃない。

著書「僕の生き方」の中でこんなエピソードがある。

次女のアメリカ行きの前、紳助は「もう行くなよお前」という言葉をずっと飲み込んでいた。

そんなある日、ぼくはとうとうぶち切れてしまった。

その日は、長女と次女が駅で10時に待ち合わせて帰ってくることになっていた。

ところが、家庭教師をやっている長女が、時間を延長して教えなくてはならなくなった。

長女は先に迎えにきてもらえと電話をした。だが次女は「待っている」と言った。

田舎の駅は人が少ない。暗い。そんなところで、次女は11時まで待っていたというのだ。

二人が帰ってきたのが11時過ぎ。それを聞いて、ぼくは怒った。

「親に、迎えに来てもらうのが悪いっていう気持ちはわかるけどな。そんなごめんなさいよりも、お前が1時間もあんなとこにおるほうがよっぽど心配や。わからんのか、ボケーッ」

次女を殴ったのを見て、長女があわてて、間に入った。

そうなると、ぼくはもう、歯止めがきかない。壁にもぼこぼこ穴を開けた。机もひっくり返した。

こぶしは血だらけになった。

~中略~

次の朝、ぼくは仕事先から電話して次女に謝った。自分の非は分かっていた。

「夕べは、悪かったな。8割は正しいこと言うたと思う。でも、2割は完璧にオレが悪い。お前が行くから、寂しさで不機嫌なんや・・」

それでは足りなくてメールを打った。

「また、いつか暮らそう。これで、最後とちゃうからな」

次女のためにノートを作った。たとえばカレーライスの作り方。

そして、最後に・・こんな約束を書いた。

アメリカに行く約束

一、遊びに行くんじゃない。自分の夢の実現のために努力し続けること

一、 友達は日本にいっぱいいます。友達をつくるためにそこにいるんじゃない。闘いに行くのです。

一、 ギブアップも勇気です。その時は、日本に帰ってきなさい。そしてまた、違う闘いをすればいい。

いつも笑顔で待ってます。

世界中が、ゆかの敵になっても、私たち家族は、味方です。

ぼくは次女を見送らなかった。次女もそれでいいと言った。

空港で泣くのは恥ずかしいから。

「ぼくの生き方」p145-p149

 このエピソードを読んでもらえれば、ぼくが言いたいことは分かってもらえると思う。

たしかに前半の暴力については「賛成」できるわけはない。しかし、その暴力も含めて、彼の子供への対等な接し方は素直にいいなと思う。

子供に向かって素直に謝ることってそんなに簡単なことじゃない。こういうことを言える父親ってすごく少ないと思う。

そして、この親子関係のきずなの深さは彼の著書の節々で表現されている。

また、こんな記述があった。今回の事件ともすごく関係してるのでまた引用してみます。

最近、だんだん、娘に育てられているような気がしてくる。

この間も、東京の番組で大げんかして、キレて帰ってしまったことがあった。

それで、長女にメールをした。キレてしまったこと。キレてしまった理由。するとすぐに返事が返ってきた。

「ぶちキレちゃいましたか。あら、まぁ。辛抱強くプライドもって・・っていろいろ大変ですね、大人は。でも、我慢してキレないでニコニコ愛想笑いしているおっとうは、おっとうらしくないぜ。それで他人は『紳助さん、丸うなったね』と思うかもしれんが、それは違うとマキは思う。

キレてもしゃあないって言ったらあかんのかもしれんけど、今までキレて当然やったことにキレるのはしかたないし、キレるべきやと19 歳は考える。だって、我慢してへらへらしてたらカッコ悪いやん。人にどう思われようが、自分にかっこよく生きるのが、日本男児やん。基本的なことを忘れたらあかんで。マキは、キレても太っても、日本男児のおっとうを尊敬してるよ」

19歳に素直に打ち明けたことを、ぼくはよかった、と思った。19歳が父を救ってくれることもあるのだと。

これを見ると、事件の真相がすべて分かった気になった。

今回の事件が「紳助らしくない」っていったことを取り消します。

まさに紳助らしい。紳助そのまま。だから僕はファンをやめない。

会見の涙は演技だという人もいるけれど、あれは絶対に演技じゃない。「芸能界をやめたい」っていう言葉も彼を知ってる人なら分かると思う。

彼はいつも「全盛期でやめたい」とこぼしている。

でも紳助氏が“反省”のために芸能界をやめることはしてほしくない。なぜならそれは上岡氏のように「全盛期で引いた」ことにはならないから。

謹慎が終わった後も「丸くならず」に「紳助らしく」思う存分やってほしい。